松方弘樹さん死亡「仁義なき戦い」で昭和の大スターを振り返る

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俳優の松方弘樹(本名:目黒浩樹、めぐろ・こうじゅ)さんが2017年1月21日、脳リンパ腫のため亡くなりました。 東京都出身、74歳。 昨年2月に体調不良を訴えて予定していた舞台などへの出演をとりやめて、闘病を続けていいたそうです。

松方弘樹さんについて

松方さんは時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優でした。

もともとは歌手志望だったが、五木ひろしらと席を並べて歌を学んでいたが、五木の歌声を聞いているうちに自信を無くし、父と同じ俳優の道に入った。明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。

その一方、テレビでは、「遠山の金さん」(テレビ朝日)や「HOTEL」(TBS)など人気のドラマに出演した他、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放ち視聴者に親しまれていました。

このほかの代表作に映画「赤穂浪士」「昭和残侠伝」「恐喝こそわが人生」「北陸代理戦争」「柳生一族の陰謀」「修羅の群れ」大河ドラマ「天地人」「八重の桜」など。

『仁義なき戦い』って…

『仁義なき戦い』(じんぎなきたたかい)は、日本のドキュメンタリー。この作品は戦後まもない時期から約20年間に広島で実際に起こった暴力団による抗争事件をモデルとしています。 当事者の1人である美能幸三の手記に飯干晃一が解説を加えて映画化された作品で、第一作「仁義なき戦い」から第五作「仁義なき戦い:完結編」までシリーズ化されました。

松方弘樹さんの役柄

第1話  坂井鉄也

呉を手中に収めた山守組は、若頭坂井鉄也(松方弘樹)と上田透(伊吹吾郎)を中心とす る一派と新開宇市(三上真一郎)と有田俊雄(渡瀬恒彦)を中心とする一派に分かれ、徐々に内部分裂の 兆しを見せはじめる。

第4話  藤田正一

義西会若頭藤田正一(松方弘樹)を中心にして、広島ヤ クザの大同団結を唱える山守組若頭武田明(小林旭)との全面対決を決意する。こうして広島市街地は、ヤ クザの戦場と化し夥しい数の血が流れた。

第5話  市岡輝吉

天政会参与 杉田佐吉(鈴木康弘)が、市岡組組長市岡輝吉(松方弘樹)の手の者によって射殺されたことによって広島は 再び抗争の場と化すのであった。

坂井鉄也/藤田正一/市岡輝吉の三人を演じ、シリーズの中で 完結編が第1作の次に面白いと思う。特筆すべきは、市岡輝吉役の松方弘樹。千葉真一に勝るとも劣らない 切れっぷりは見事!三回とも殺された松方弘樹が、逝ってしまいました。

『仁義なき戦い』多くの人を魅了したわけ

従来のヤクザ映画は義理・人情、いわゆる任侠の世界を描いたもので所詮はヤクザを美化して描かれたものがほとんどでした。

ところが、この『仁義なき戦い』では、裏切り、共謀、掟破りなどが日常化した現実の暴力団の世界がリアルに再現されています。 映画内で扱われる事件に関わった当事者の多くが、現実に生きている中で制作された、本当の意味での「実録」モノの先駆的作品でした。

深作欣二監督の斬新な撮影手法、脚本家笠原和夫の綿密な調査、当事者の多くが生きているという現実感、さらには 伸びざかりの若手俳優によるイキイキとした演技など、このシリーズの価値を高めた要因は数多く考えられます。

原作と脚本

映画の原作は週刊サンケイに連載された、飯干晃一のドキュメント「仁義なき戦い」です。
その原作の元となったのは、ある人物が獄中で書いた手記でした。

その人物とは網走刑務所に服役していた美能組の組長、美能幸三で、ある週刊誌に掲載された記事、広島で起こった一連の抗争事件の張本人が自分であると決めつけられた内容を読んで、その反論として獄中で手記をまとめました。

その手記はいくつかの出版社に持ち込まれ、週刊サンケイがそれを連載するにあたり、内容は、手記そのものでなく、その手記を飯干晃一が読み砕き、解説した内容になっています。 「仁義なき戦い」という題目は、連載時に付けられたものです。

 松方弘樹(本名:目黒浩樹)さん家系

父・近衛十四郎は「日本一のチャンバラ役者」

新潟県長岡市西新町で生まれる。工業学校卒業後、鉄道建設事務所に勤めていたが、映画俳優を目指し、市川右太衛門プロダクションに研究生として入団する。

1941年、第二次世界大戦が勃発、この年に女優の水川八重子(本名:角西やゑ)と結婚。
1942年、28歳。7月、長男・浩樹(こうじゅ。のちの松方弘樹)誕生。
1947年8月、次男・祐樹(のちの目黒祐樹)が誕生。

1953年から新東宝、松竹、東映と移籍を余儀なくされていた。1961年、長男の弘樹も東映で主演デビューした。『柳生武芸帳』シリーズ(1961 – 1963年)で主役の柳生十兵衛を演じる。

1965年、東映の任侠映画路線への移行を受け、フリーとなり、NETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されたテレビ時代劇『素浪人 月影兵庫』に主演。近衛の鬼気迫る立ち回りに加えて品川隆二演ずる焼津の半次とのコミカルな掛け合いが人気となり、茶の間の大ヒットを呼ぶ。素浪人シリーズは高視聴率のとれる人気番組として以降1969年『素浪人 花山大吉』と続いた。

近衛十四郎は熱心な時代劇ファンたちから「日本一のチャンバラ役者」と現在もなお讃えられ続けている。なお、芸名の十四郎は1914年に生まれたことから。

母・水川八重子 (みずかわ-やえこ)

1918-1976 昭和時代の女優。大正7年2月15日生まれ。近衛十四郎の妻。
昭和10年大都映画にはいり,「御存知猿飛佐助」でデビュー。おもに時代劇で活躍。

結婚後は近衛と一座をくんで10年間地方を巡業した。松方弘樹,目黒祐樹の母。昭和51年7月25日死去。58歳。東京出身。上野高女卒。本名は角西ヤエ子。

松方弘樹家系図

松方弘樹家系図

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